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【吉田屋】ふわり葛豆乳ムース2種詰合せ(6個入)

¥4,310 - ポイント

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吉田屋は創業明治15年。130年以上の間、和菓子の技術を生かし、奈良の特産物である「吉野葛」を使用した葛餅、葛菓子、葛飴など様々な葛菓子の製造に携わってこられました。まごころ込められた味を奈良・吉野からお届けします。
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ふわり葛豆乳ムース2種セット

【卵、小麦、乳不使用】
プレーン:有機JAS認定の遺伝子組み換えでない大豆を使用した有機豆乳、奈良・吉野の本葛、てんさい糖、寒天だけでじっくりと練り上げたなめらかで上品な味わいの葛豆乳ムース。
黒大豆:有機豆乳と奈良・吉野の本葛、兵庫県産の黒大豆を使用し、丹念にじっくりと練り上げた豆乳ムース。黒大豆のコクと香ばしさが味わえます。
そのままでも美味しいですが、黒糖蜜やフルーツソースをかけてお召し上がりいただくのもおススメです。

吉田屋の歴史
~時代背景・下市町~

その昔、京都や奈良を中心とする天皇や貴族の金峯山信仰が盛んになると共に、「下市」は仏教文化の影響を受け、歴史的にも特異な存在となっていき、平安時代になると、貴族や有力社寺が荘園経営のため大挙して「下市」に進出し、活況を呈することになりました。「下市」とは「上市」に対する呼称で、吉田屋が所在する付近に流れている秋野川が当時、吉野地方の入り口であったため、中世以降、交易が盛んになり、毎月2・7日に「市」が開かれたことによります。
天文5年(1536年)頃には、「山家なれども下市は都、大阪商人の津でござる」とうたわれ、日本最初の商業手形「下市札」が発行されました。以降、商工業都市として、あるいは願行寺の寺内町として目覚ましい発展を遂げ、吉野地方の中心的な存在として政治・経済・文化の上でも重要な役割を果たしてきました。
慶応3年(1867年)大政奉還後、維新政府が出現すると、翌慶応4年(1868年)には奈良県が誕生、明治21年(1888年)には町村制が公布され、翌明治22年(1889年)に下市村以下11ヵ村が統合され、下市村が誕生、翌明治23年(1890年)4月1日、下市村は下市町として発足しました。

~吉田屋 創業から現在~

こうした時代背景の中、創立者吉田ミネ氏が明治15年(1882年)に「吉田屋」を創業しました。
創業当時の「下市」は、大峰山へ登る修験者のための宿場町でした。交通が発達しておらず、下市口駅で降り立った修験者たちは、宿場に架かる仙石橋を渡り、約10里(40㎞)の道を大峰山まで歩いたといわれています。下山してきた修験者たちの精進揚げとなる宿泊の場となる「下市」にて「吉田屋」は、山上参りの山伏たちのために、土産物として葛や乾物、お菓子等を製造し、「下市」の旅籠(各旅館)に売りにいったのが始まりです。
近年は、製造の自動化が進み、お菓子作りの風景も一変しましたが、その頃の「吉田屋」には20人程の職人がいて、いろいろなお菓子を試行錯誤しながら手作りで作っておられました。団子や羊羹、生姜糖、柿菓子などわざわざ吉野山からもリヤカーで買い付けに来られていたようです。昨今の目まぐるしい時代変化の中にあっても、その時代にあったお菓子を作ることで幅広い層のお客様から受け入れられる様、日々工夫を重ねておられます。
80年変わらず作り続けている葛餅(羽二重餅)や、寒い季節にはぴったりの葛湯、木型に起こした美しい葛菓子(干菓子)、葛わらび餅や葛ごまどうふなど、今日に至るまで沢山の葛製品を作り続けて来られました。
近年では、欧米化していく食生活の中、日本に昔からある食材のひとつ「葛」のおいしさ、力強さを次世代に伝えるべく新しい葛菓子ブランド「ゆるり」をスタートされるなど、先代から受け継がれる知恵と技術を生かしながら、奈良・吉野から変わらぬ味を届けることができるよう、感謝の気持ちとともにお菓子作りに努めておられます。