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マルト翠花から見る奈良とスイカの歴史

ギュッとつまった真っ赤な果肉に、ジュワッと甘くて瑞々しい果汁が魅力の「スイカ」。
猛暑を 乗り切るのに欠かせない食べ物であり、日本の夏の風物詩として長く人々に親しまれてきました。

今では、スーパ ーなどの店頭でゴールデンウィーク前から8月のお盆過ぎまで、南から北へと産地リレー式に店頭に多くのスイカが並べられており、ますます人気が高まっています。

実はこのスイカ、歴史をさかのぼると奈良と深い関わりがあるのをご存知でしょうか。


近代スイカの基盤となった「大和西瓜」発祥の地、奈良

奈良でスイカの栽培が盛んに行われるようになったのは江戸時代末期。
当初は、「権治」と呼ばれるスイカが栽培され、その後アメリカ・カリフォルニア大学から導入された「アイスクリー ム」と呼ばれる品種と自然交配し、奈良県産のスイカとして「大和西瓜(やまとすいか)」 が誕生しました。
これが、近代まで続くスイカ品種の基礎となったと言われています。
大正時代に入ると、奈良県は大和西瓜の生産地として躍進し、栽培面積も年々増加。
育種する農家も増え、改良を重ねることで品種も増えていきました。


スイカの種全国シェア80%の奈良県田原本町

1960 年代以降、奈良のスイカ栽培は販売用から採種用の栽培が中心となっていきます。
その中核を担ったのが農業家の萩原善太郎氏(以下、萩原氏)です。
萩原氏は、農家収益の 向上に取り組む中で、優良品種の必要性を痛感。
大正5年、採種事業に着手し品質改良を重ね、昭和12年、現代のスイカの元祖となる「富研号(ふけんごう)」を創生しました。

現在、萩原氏の礎を引き継いだ「株式会社萩原農場」(田原本町)は、スイカ専門の育種農場として全国にスイカの種を出荷しています。
国内で出荷されているスイカの 7~8 割は、奈良県で育種された種から栽培されたもので、今や全国のスイカ栽培にとって無くてはならない存在。


田原本町でおこる、新たなスイカの風「マルト翠花」

江戸時代から現代まで続く奈良とスイカのストーリー。
全国のシェア80%を誇るスイカ育種のまち田原本。
今夏、この田原本の地で新たなスイカの物語が始まります。

「マルト翠花」とは、田原本に宿を構える「NIPPONIA田原本マルト醤油」の名を宿したスイカ。
「NIPPONIA田原本マルト醤油」とは、「泊まれる奈良最古の醤油蔵」をコンセプトにした宿泊施設です。

⾵味豊かなお醤油は皇室御⽤達でもありましたが、⼤戦後、⾷糧難により閉業。
それから70年の時を経て、眠っていた蔵元の再興をかけて、宿として新たに開業しました。

一見すると関係のなさそうな「醤油蔵」と「スイカ」ですが、そこには知られざる繋がりの物語があったのです。

…続きは「マルト翠花」商品ページからご覧いただけます。


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